雑多な日々よトコシエに

つまるところ、日記やねん。

男性の股間に寄生獣が住み着いている可能性に気が付きました。

 

先日、知人女性と話をした。大学で知り合った彼女とは実に1年ぶりの再会。8月のギラギラと暑い昼下がり。おしゃれなカフェに飾られたパラソルが作った影の下、照り付ける日差しのように真っ白な腕をブラウスから見せる彼女は昔のままだった。

 

私は女性の話を異常に真剣に聞くことで有名で、高校でも大学でも女性から「相談」とは名ばかりの愚痴をよく聞かされてきた。

京都の瀬戸内寂聴という異名を聞いたことがある人は多いだろう。それは私のことかもしくは瀬戸内寂聴ご本人のことである。後者の可能性が高い。

加えて私には人に、特に女性に気を遣わせない能力がある。男性としてドキドキする魅力がないともいえるが、その分モテ男以上に女性の本音を知っているという自負がある。

 

彼女も例によって、普段言えない事を吐き出すために私に会ったのだろう。その日も彼女の永遠と続く話を聞いていた。

いつも決まって彼女が話題として出すのが男性に関するぶっちゃけトークだ。彼女だけに限らない、女性からの「相談」は8割方がそうであった。

 

彼女の口から出てくるきらびやかな恋の話は、私にとってはぼんやりと、靄のように感じられる。まるで河童とか、ネッシーとか、モンゴリアンデスワームとか、田代まさしとか、存在やその特性そのものがにわかに信じられない伝説のような。

 しかし同時に女性の本音は貴重なモノでもあった。ぼんやりとしているが、聞いた話は心の中でまとめては、うまく自分の恋愛に活かしてきたつもりである。

 

その日もいつものように、彼女の男性に関するぶっちゃけトークのピースを繋ぎ合わせながら聞いていたのだが、私はハッとした。

ついに恋愛なるモノを「ザ・タッチ式幽体離脱俯瞰視点」で見つめ続けてきた私の脳が覚醒を起こし多くの男性の体に潜む邪悪で混沌としたの真理を発見したのである。

それはまるでデヴィッドフィンチャー映画のように、過去と今の記憶がきれいに一直線につながった瞬間である。

 

「男性の股間には寄生獣がいる」

 

ぜひ市原悦子の声で再生していただきたい。

この真理にたどり着いた私の心情と表情は、見てはいけない邪悪な核心に触れてしまった時の家政婦そのものだったのだから。

 

この真理に至ったのは必然であるともいえる。これまでの女性から聞いた「男性」の話をつなげた場合、この真理が存在しなければ辻褄が合わない事象が多すぎると気づいたからだ。

 

この知人女性だけに限らず女性はいつも漏らしていた。「世の中は体目当ての男ばっかり。」と。

 口を開けば、恋人ですらないのにやらせてだのあるいはそれを匂わすかのような言葉のオンパレードで、口を開かずともそういう雰囲気をビンビンに醸し出してくる男がほとんどで辟易としてしまうらしいのだ。

女性の自意識過剰や妄言と切って捨てることはできない。なぜならそれは、はっきり言って男性の私でも今までの経験の端々で感じてきたことだからだ。

 

一方でここまで性欲を操れない男性が多く存在して良いモノだろうか。その特性は生まれ持ったものだろうか。否、何かしらの後天的な原因で股間そのものが本体となってしまった男性が生み出されていると仮説を立てるのが妥当だろう。では何が世の男性たちを性獣たらしめているのか。そう

 

寄生獣

 

むごたらしいことに世の男性のほとんどは股間から侵入されたのだろう。もしかしたら新一よろしく侵入時ひもで息子を堅く縛ったから股間だけに寄生して意思を持ち出した可能性も否めない。本人自体はギリギリ自我が保てている状態である。その場合股間に住み着いた相棒にどう名を付けるのだろうか。普段のチンポジによって、右の場合は「ミギー」とかになるのだろうか。

我ながら素晴らしい推理である。

 

物事には守るべき順序がある。恋愛は特に順序のバランスが重要となる。しかしながら理性を失ってしまった男性たちにもはや順序を守るというモラルや道徳観念など存在しない。彼らは獣になってしまったのだから。恐るべし寄生獣

  

「物事に存在する当たり前の順序を守れない男なんて猿以下。」細くてすらっと長い手を顔の前でひらひらさせながら彼女はそう言っていた。

その言葉を口にした彼女の、「世の中の苦みの最終形態汁をグイっと飲み干したかのような」顔から推察するに、その猿とはチンパンジーとかオランウータンみたいな、見た感じ賢そうなやつじゃなくスローロリス的なやつを指しているのだろう。

 

この記事を書きつつ改めて思った。「何事も順序は守らねば。」と。そんな中こうして自己紹介記事もすっ飛ばしていきなりしょうもない記事を書きだすのだ。